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Vol.9 モノがなくても心は錦? “持たず”篇

今年に入って、すでに10冊くらい本を買っています。一向にモノが減る気配はないし、減らそうと言う意志が沸きません。ライターのタラです。

昔、バックパッカーをしていたことがあります。最低限の荷物だけを持って、安宿を転々と旅するアレです。あの時は、モノがなくても大して困らなかったなぁと、ふと思い出しました。携帯電話も持っていなかったし。という事で、まさかの前後篇となったシリーズの後篇。捨てるならば持つな! そんなお話です。


大人気マンガ「SLUM DUNK」の作者、井上雄彦先生の短編に「BABYFACE」と言う作品があります。ハードボイルドとラブロマンスを混ぜ合わせたような内容なのですが、その主人公が住んでいる部屋が、ワンカット出てきただけなのですが、とても印象的でした。

ワンルームの真ん中にポツンとベッド。床に無造作に電話(スマートホンではありません)と目覚まし時計が置かれているだけの、とても生活感のない部屋でした。内容を考えれば「なるほど」と、今ならば合点がいくのですが、当時はその何もない部屋がただただ格好よく見え、漠然と憧れたことを覚えています。

上京して初めて一人暮らしをすることになった時、真っ先に目指したのはその主人公の部屋でした。何もできなくて、すぐに断念しましたが……。

さて、ここでネタばらし。この主人公、実は「殺し屋」なのです。そう見えない童顔で(これが多分タイトルの意味)、普段はオドオドした青年。しかし、謎の組織が育てた凄腕、と言う設定で、言われるがままに居を転々としながら暮らし、依頼を待っています。ほとんどが一時寝るだけの仮の住まい。だから彼の部屋にはモノがないのでした。

 

 

出発点は違いますが、「ミニマリスト」の部屋と見ることもできます。

いわゆる、無駄なモノは持たず、必要最小限のアイテムで生活している人たちのこと。モノを厳選することで生活品のコストやスペースを節約し、同時に心の豊かさを追及する、近年注目されているライフスタイルの一つです。

確かに、現代人にとっては理に適っているかもしれません。それは、スマートホンがあるからです。電話はもちろん、テレビ、パソコン、時計、カレンダー、音楽プレイヤー、カメラ、筆記用具、ゲーム機、読書……あらゆるモノをスマートホン一台が担ってくれます。「読書は紙を捲りたい」だとか「音楽は良質なステレオで聴きたい」などのこだわりはさておき、とりあえずの事は足りてしまいます。

事実、僕自身は大量の本の置き場で困っているわけで、スマートホンで読書することを受け入れられたら、きっと部屋も片付くでしょう。

ちなみに音楽はほとんどパソコンで聴いています。ネットで音源データを購入するなりして、CDはほとんど持っていません。

スピーカーも最初からパソコンに付属していた安物。ですが、僕はそれでも全然構いません。何にこだわりを持つのかは個々人によるわけで。

逆に読書はスマートホン、音楽は良いステレオで、と言う人もいるはずです。知り合いのレコード収集家は、何百何千と言うコレクションからその時々で一枚を選び、それをレコードプレイヤーで聴くのが至高だと嬉しそうに語っていました。僕にはピンと来ませんが、趣味とはそんなものです。他人にはつくづく理解しがたい。

ミニマリストの人たちは、こうした「趣味」みたいな部分はどうしているのでしょうか。趣味に対する自己満足的なこだわりからも解放されているのでしょうか。あるいは趣味すら「持たない」? 先は長そうです。

 

さて、断捨離が「捨てる」と言う行為なのに対し、ミニマリストはいわばライフスタイルそのもの。断捨離もミニマリストへの一過程と言ってもいいかもしれません。

実際、モノがないことのメリットは何でしょうか。ミニマリストの方たちの感想に多かったものを少し紹介します。

・掃除が簡単になる
・浪費を避けられる
・本当の自分時間が増える
・作業に集中しやすい

分かりやすいようで、何となく漠然としている?

ふと思いついたのは、学生時代のこと。いざテスト勉強をしようと机に向かうと、そんな時に限って妙に部屋の汚れや散らかりが気になり、掃除を始め、結果勉強がおろそかに。

また、掃除をしようと押し入れを整理していると、奥深くしまってあった昔のマンガか何かを見つけて、ついつい読破してしまう……なんて失敗エピソード。身に覚え、ありませんか?

確かに、モノがなければそんな脱線もなくなります。自分が本当にやるべきこと、やらなければならないことが明確になり、集中もできるでしょう。

僕など、いまだにこうして原稿を書きながら、突然本棚の本を並べ替えたり、調べ物ついでに開いた小説を読み始めたりと、全然集中できません。執筆が遅いわけです。

しかし勘違いしてはいけないのは、決してミニマリスト=ケチではないということ。むしろ逆かもしれません。モノを買う際はしっかりと吟味し、自分にとって本当に必要かどうか。欲しいのかどうか。きっとそこに値段は関係ないのです。自己問答の末に買うと決めたら、それが高価なものでも納得して手に入れるでしょう。

「安物買いの銭失い」そんな諺の真逆を行く存在。それがミニマリストなのです。

捨てること。持たないこと。モノが溢れている時代だからこそ、注目される考え方なのは、こうして取り上げてみて痛感しました。インターネットショッピングも旺盛で、ほぼワンクリックで、考えなしにモノが買えてしまいます。常にいいモノを、最新のモノを、得するモノを……とモノにとらわれがちな毎日に、ある種警鐘を鳴らすのが断捨離だったり、ミニマリストだったりするのかもしれません。

しかし一方で、モノがなくては生きていけないのも事実。

いくらスマートホンであれこれできるとは言え、例えば四人家族で、それぞれがスマートホンを持っているから他には何もいらない……とはなりません。

大きなテーブルを囲んで家族で食事をしたり、ソファに座ってテレビを見たり、おしゃべりしたり。そんな団欒の時間や空間は家を形成する大事な核です。

肝心なのは「モノのあるなし」よりも「モノとの付き合い方」なのかもしれませんね。

 

 

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