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Vol.31 酸いも甘いも笑いも涙も。嗚呼、家族百景。

ふと思い立って、深夜に部屋の模様替えをしました。主にベッドと仕事机の配置を変えたのですが、気を抜いてベッドを動かそうとした瞬間、腰をやってしまいました。ぎっくり腰真っ最中、ライターのタラです。

先日、友人からハッピーな知らせを受けました。子供を授かったというのです。僕と同じ歳の同級生夫婦。念願の初子です。とにかくおめでとう。

一方、僕はと言えば、子供どころか相手すらいないお一人さん。漠然と結婚したいな、子供が欲しいなという思いはちらつくのですが、特に何もせず、ゆえに起こらず。このまま新しい家族も作らず、独身街道まっしぐら……なのかなぁ。

という事で、今回は「家族」についてあれこれと書き散らしてみたいと思います。


我が家も随分と人数が減ってしまいました。現在は僕、弟、父の三人暮らし。それなりに仲の良い家族ではありますが、ふとした瞬間に寂しさみたいなものは感じます。

過去、我が家の最大人数は七人。現在の三人に加えて、祖父、祖母、母、もう一人の弟と、思い返してみれば賑やかな家族だったように記憶しています。

本来ならば僕ないし弟が結婚し、子を作り、その子たちがまた新しい子を作り……と家族のサイクルを描いていくものなのでしょう。結婚の予定どころか相手もいない現状。我が家は僕らの代で断絶する可能性大。甲斐性なし、ここに極まれり、です。

 

そもそも我が家の系譜は少々変わり種。僕の部屋に遺影が飾られている、会ったことのない曾祖父と曾祖母。二人には子供がいなかったそうです。そこで養子を取ることにしました。それが祖父と祖母です。

?!

どちらかでなく、両方です。つまり、祖父と祖母は、結婚したタイミングで曾祖父と曾祖母の養子となったのです。最近は珍しいのかもしれませんが、いわゆる夫婦養子です。

そう考えると、本当の意味で我が家の「直系」はもはやないとも言えます。

 

 

さて、そんな夫婦養子で我が家にやってきた祖父。嘘のような本当の話がありました。

生家を出て、新たな家へと入った祖父ですが、親戚行事、例えば正月の集まりや葬式、法事などに顔を出してくれるお姉さんがいました。初めて見た瞬間、「じいちゃんの兄妹だ」と分かるくらい、そっくり。男と女の違いはあれど、血縁関係を疑いようがないほど似ていたのです。

祖父が亡くなった際も親族として葬儀に参加し、その後の法事や何回忌やらにも来てくれました。

そのお姉さん、一人者でした。生涯未婚で、子供もいません。

高齢とあって、調子も悪くなり、入退院を繰り返すことに。その際、父を含め我が家である程度のお世話をしていたのですが、歳には勝てず、ほどなくして亡くなってしまいました。身近な家族はおらず、すでに祖父をはじめとした兄妹もほとんど鬼籍に入っています。

僕の家族と、遠くに暮らす従妹(?)さんの家族とで、ささやかながら葬儀を行いました。

そして下世話な話。遺産を分けましょう、となりました。まあ他に親類縁者もいないし、最後を見送った親族として、まあ貰えるものは貰いましょう、ということです。

しかし、あれこれ手続きをし始めるのですが、どうにもこうにも雲行きが怪しい。市役所にて戸籍やら何やらを調べてもらった結果、驚くべき真実が! 何と、祖父とお姉さんは兄妹ではなかったのです。え、どういうこと? と家族全員、言葉を失いました。

祖父は生涯で三回も養子に出された流浪の人でした。そのどこかのタイミングで養子に入った某男性の妹さんが、祖父の姉だと僕らが勘違いしていた人とのこと。人間関係もつれまくり。もろもろの経緯を考えれば全くの他人というわけではありませんが、血縁関係はなし。戸籍上は他人扱いなのでした。

そうなると、お姉さんの遺産をどうこうする権利はありません。銀行の口座番号でも聞いておけばあるいは引き出すことができたかもしれませんが、それもできず。銀行にも相談しましたが、どうにもなりませんでした。

それにしてもソックリだった二人。祖父も生前、普通に兄妹のように接していたし、本当の兄妹じゃないなんて匂わせたことすらなかったそうです。

養子に行った先で、血よりも濃いなにかを得たのでしょうか。真相はもう闇の中です。

 

 

さて、今現在、独身街道まっしぐらの僕ではありますが、過去に一度結婚したことはあります。もう15年ほど前になりますか。

東京で働いていたときに出会った相手で、歳は一つ上。一年強同棲した後、僕が海外を放浪するタイミングで籍を入れました。職を捨て、あてもなく海外を旅するのに結婚するというのがそもそもオカシイですが、相手はそれでも構わないと言い、新婚生活がいきなり無職放浪と相成ったわけです。

結局、一年半ほどで結婚生活は破綻。当然と言えば当然でしょう。旅している間は、ずっと夢を見ているような状態。いざ帰国すれば、現実が押し寄せてきます。貯金も底をつき、働かなければなりません。

贅沢がしたいわけでもなく、浪費癖があるわけでもない。大した稼ぎがなくても、まあボチボチやっていたわけです。

ある時、妻の親友に子供が生まれました。それが転機でした。当初、僕も妻も「子供はいらない」ということで意見が一致していました。子供が嫌いなわけではなかったのですが、育てる自信がなかったのだと思います。

しかし、一番の親友に子供が生まれ、彼女の中で何かが変わったのでしょう。直接、子供が欲しいと言われたことはありません。しかし、別れた理由は「将来が見えない」ということでした。それはつまり、そういうこと。子供を欲しがらない僕とでは、未来がないと思ったのだと。

彼女の懸念は当たったとも言えます。今もってフラフラと独身。子供を持ち、育てるなど夢のまた夢。

彼女が、その後どうなったかは知りません。僕と離婚した時でもまだ30歳手前。諦めるには早すぎます。良き人と出会い、温かい家族を育んでいることを祈るばかりです。

 

 

1970年には男性1.7%、女性3.3%だった生涯未婚率(50歳時未婚割合のこと)。2022年に発表された統計では、男性28.3%、女性17.3%にまで増加しているそうです。

僕もその一旦を担ってしまっているわけで他人事ではないのですが、確かに、僕の周りには独身者が多いような……。類は友を呼ぶのでしょうか。ちなみに当コラム最多出場のE君も独身、よく飲む会社の同僚も独身、昔のバイト仲間も独身です。嗚呼、怖い。

 

僕の前方を、子供を連れた家族が歩いていました。子供を真ん中に、両サイドから両親が手をつなぎ、時々ブラブラさせながら、ゆっくりゆっくり歩いています。

他愛もないシーンですが、何故か強烈な幸せのイメージを感じました。あんな家族を作ってみたい、と思ったのです。

そんな話をすると、E君は決まって言うのでした。

「俺たちに結婚は無理だ。諦めろ」

そして僕は言い返します。

「絶対お前より先に結婚したい。一人残るのはいやだ!」

今宵もお酒が身に沁みる。独身どもの夜は長い……。

 

 

 

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