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Vol.54 ここが変だよ静岡県? わが町をもっと知ろう。

さようなら2024年、よろしく2025年。ということで、本年度最後のコラムとなります。ライターのタラです。

先日、昔の友人に会いに東京に行きました。何でもない普通の土曜日です。人の多さに驚きました。「祭りでもあるのか?」と思ったほど、人、人、人で溢れかえっています。

僕が住む商店街で最も人が集まる一大イベント「七夕祭り」の時よりも、下手したら人の密集度は高かったかもしれません。かつては住んでいたわけですが、今はもう無理でしょう。静岡はいい所です。

ということで、今回は我らが「静岡」にフォーカス。意外に日本一が多い? 静岡の常識は、他県の非常識? それでは我が町探訪のはじまり~。


東京で暮らしていた学生時代のことです。学校には全国各地から生徒が集まっており、東京出身者はもちろん、北は北海道から南は沖縄まで多彩なメンツが揃っていました。全国各地から人が集まると話題にはなるのは「言葉」。ひと際目立ったのはやはり関西弁で、偶然クラスには大阪、京都、兵庫、奈良と関西四府県の出身者がおり、ほぼ初めて接する関西弁に面食らっていた記憶があります。

その時面白かったのは、非関西圏の人間にしてみたら全部「関西弁」なのですが、当事者同士はよその関西弁を認めていない節があったこと。「京都弁は人を見下している」だとか「大阪弁は品がない」だとか「奈良弁は鹿にも通じる」だとか、よくお互いをおちょくりあっていました。

そうして関西弁が目立つ中、自分が使う言葉(静岡弁)は標準語だと思っていました。イントネーションに変化があるわけではないし、独特のワードを使うわけでもない。せいぜい、凄いを意味する「バカ〇〇〇」があるくらいで、東京人と喋っていても「どういう意味?」と問われたことも別段ありませんでした。

そんなこんなで楽しい日々を過ごしていたわけですが、ある時、もっとも仲良くなった友人が妙な喋り方をし始めたのです。どこがどうと言いづらいのですが、とにかく妙なのです。

「その喋り方、何なの?」と問うと、「お前の真似」と言われました。

驚きました。普通だと思っていた自分の言葉が、関東人にとっては奇異に聞こえていたのです。

彼が主にやっていたのは主に二つ。「~~ら」と「~~~だもんで」という語尾の真似。確かに静岡人にとってはお馴染みの言い回しです。彼は別にバカにするつもりではなく、むしろ親愛の意味を込めて使っていたのでしょう。ですが、聞いているとどうにもしっくりこない。違うことはわかるのですが、ではどう違うのかが上手く説明できない感じです。

思い返してみてください。例えば「~~~ら」を使う時、何かを意識しますか? この場合は「ら」を使い、このシーンでは「ら」を使わない……というようなことは考えていないと思うのです。そこらへんの使い分けは恐らく無意識にやっているはず。染みついたものです。

しかし他県の人にとっては、静岡弁は「何でもかんでも“ら”や“だもんで”」を付けている、と思ってしまうのでしょう。

本当に教えるとしたら、あらゆるパターンを一個一個検証していかねばなりません。しかしそうして覚えたとしても、ネイティブな静岡弁になるかと言われれば難しかったと思います。

この時が、「自分は静岡の人間なんだな」とアイデンティティのようなものが芽生えた瞬間だったかもしれません。

それから半年後くらいでしょうか。静岡の友人と久しぶりに電話をしました。途中で「何だその喋り方は。関東人気取りやがって」と言われました。

と同時に、僕としては彼が喋っている言葉にコテコテの「静岡弁」を感じてしまったのです。

この時は何故か異常にショックを受けました。たった半年強で人間はいかようにも染まってしまうのです。地元静岡が遠くなるような気がしたのでした。

 

 

言葉に限らず、当たり前、普通だと思っていたモノコトの色々が、実は「静岡ならでは」という場合が結構あります。

有名どころでは、はんぺん。静岡のはんぺんと言えば「黒」が当たり前ですが、はんぺんが黒いのは静岡だけ。コンビニおでんを見れば分かると思いますが、全国的には「白」がオーソドックスです。

私の亡き母は東京の人間で、初めて黒はんぺんを見た時は「何これ、まずそう」と思ったそうです。結局慣れて好物になってましたが。ちなみ僕は白はんぺんをほとんど食べたことがありません。コンビニおでんでも選びません。味がなさそうで……。

 

 

他には、例えば「横断バッグ」。静岡の小学生ならば誰もが持っている黄色いバッグですが、あれは実は静岡でしか使われていないアイテム。いかにも通学用で、危険な通学路でも目立つような形状。子供たちの安全のためのグッズなので「全国区」かと思ったのですが、静岡以外の人はほとんど知らないのです。静岡だけなのはもったいない気がします。

 

 

お酒好きなので酒ネタも一つ。

みんな大好き?なお茶割り。東京に住んでいる時に居酒屋へ行った時のこと。いつものノリで「お茶割り」を注文したところ、出てきたのはなんとウーロンハイ。

「これ、ウーロンハイじゃん」と愚痴ると、友人からは「え、だってお茶割り頼んだじゃん」と言われました。

「お茶割りと言ったら緑茶でしょ」と返すと、「それは緑茶ハイでしょ?」と一刀両断。「お茶割りで緑茶ハイが出てくるのは静岡だけなんじゃない?」と驚かれたのです。

まあこれに関しては、お茶割り=緑茶ハイが通じるのは静岡だけとは断言できませんが、確かに店によっては「静岡割り」とわざわざ名付けて緑茶ハイを提供する所もあるので、一般的にはお茶割りと言えばウーロンハイ……なのかな?

使い分けがいちいち面倒になったので、東京時代はお茶割りと言う名のウーロンハイばかり飲んでいましたが、静岡に帰ってきてからこっち、ウーロンハイを飲んだ記憶がありません。友人が飲んでいる所も見たことがありません。

静岡県人で、緑茶ハイよりウーロンハイが好きな人はどれくらいいるのでしょうか? これはちょっと気になりますね。

 

 

2020年に浜松市で観測された41.1℃。これは現在の日本における最高気温です。温暖化の影響かもしれないことを考えると手放しで喜べない記録ではありますが、一番は一番。何事でも日本一なのは誇らしいこと。

先述したお茶にしても産出額、生産量、輸出量など多岐に渡る分野で日本一を誇っていますし、マグロ、カツオなどの多くの水産物の漁獲量などでも日本一です。

そして静岡には誰もが知っている日本一、富士山があります。

以前、電車に乗った時のこと。たまたま学生の集団と同じ車両に乗り合わせました。すると突然、学生たちが片方の窓際に集まりだし、カメラを向けたのです。「騒がしいなぁ」と思っていると、みんな口々に「見えた~」「縁起がいいね」などと喜びをあらわに。そう。車窓から富士山が見える区間に差し掛かったのです。

静岡に住んでいると「富士山が見える」ことが、当たり前すぎて別段ありがたみも感じづらいかもしれませんが、他県の人にとってみればそれはとても贅沢なことなのです。

 

 

方言もそう。お茶割りもそう。富士山もそう。静岡の中では当たり前のモノコトも、外側から見たら奇妙だったり、独特に映ったり、逆に羨ましく思う対象となったり……。今回紹介した以外にも、静岡に暮らしているだけでは感じづらい街としての個性や魅力は沢山あるはず。

違いを楽しめると、静岡がもっと好きになるかも?

 

一度上京し、出戻りで静岡に暮らす身として確実に言えること。静岡は、気候も穏やかで食べ物は旨い。東京や名古屋など大都市へのアクセスも便利で、富士山が望める眺望も素晴らしい。全国でも屈指の暮らしやすい県です。

嗚呼、静岡県人で良かった……と緑茶をすすりながら思うのでした。

 

 

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